2006年10月11日 (水)  イチョウの木をみて思う。

バス停に向かう前に、鎮守様の境内に寄りました。

写真は境内にある「銀杏(イチョウ)の神木」です。この木をはじめてみた人は皆一様に驚くのです。「巨木だから?」違います。みんな「雷が落ちたの?」と私に訊きます。
答えは「No!」です。鎮守様の前を通る道を広くするために境内の一部を道路に譲ったのです。そして、銀杏(イチョウ)の道路に突き出た多くの部分が「ぶった切られた」のです。

切断をされた銀杏(イチョウ)の木を見て、私は「例え、神経がなくとも痛かったろうに」と思ったのを覚えています。あの一枝に幾年の時間があったか、、

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銀杏(イチョウ)は、葉を茂らせ銀杏(ぎんなん)をいっぱいに落としていました。その銀杏(銀杏)を拾ったあとがあちらこちらにあり、銀杏(イチョウ)は何も無かった事のようです。

明日の事を、一分、一秒後の事を心配してもどうしようもない。聖書で「今日の苦労は今日で十分だ、明日のことは明日にまかせなさい。」とイエスが言っていました。
銀杏(イチョウ)に思考能力は無いかもしれないけど、この木のように生きていたいと当たり前のことを思いました。

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