2021年11月9日 (火) 「人」という文字、「幸」と「辛」という文字の関係 数年前の夜中に、Nさんというミュージシャンがラジオで次のような話をしました。
リスナーの辛い思いをした手紙を読んだ後で、、、 「辛い」という文字の上の部分を「すーっと突き刺しのばす」と「幸せ」という文字になります。 「ちょっと努力すれば幸せになれる。そんなものじゃないかなぁ〜」というのです。 --- 曲が流れる ---
このような類の話を始めたのは教師役をしていたTさんが元だと思います。 「人という文字は長い棒と短い棒の二つの棒が支えあって成り立っている。単独では立っていられないんだ。私たちも助け合って生きようじゃないか」と学園ドラマの中で話していたと思います。
ひねくれた私は「どう見たって長い棒が短い棒に支えられているよ」「"入る"という文字も支えあって入るの?」と思ったものでした。
私はこのような話は嫌いです。 漢字の成り立ちがひとそれぞれの「人間の生き方」を示しているとは思えないからです。
「人」という文字は人を横から見た姿の象形文字が原型とされています。 人ひとりの横姿ですよ!、それが複数の人と人のあり方を示しているとは思えない。
では「幸せ」はどうか これは手錠のような「手かせ」の象形文字が原型とされています。 想像ですが、「手かせ」を外されたことを「幸せ」の元の考えだったのでしょうか。
次いで「辛い」はどうか 諸説あるようですが、入れ墨を入れる時の「針」の名前を表す象形文字だったようです。 墨を入れるためにその針で肌に傷をつける事を辛いと考えていたのでしょうね。
象形文字から簡略されてたまたま似た文字になったことに意味付けするのはおかしいと思うし、そこに何らかの意図があったとは思えないのです。 最近、「幸せ」と「辛い」の話をよく聞きます。話としては面白いけれど、真理を解く話ではないとおもいます。嘘も方便というけれど間違った情報で人を誘導してはいけないと思うのですが、、
さて、「怒」と「恕」、「祟」と「崇」、似た文字で反対の意味を持つ漢字がいっぱいあります。 これからどんな作り話が出てくるのでしょうね、、
今夜、TikTokを見ていて「"幸せ"と"辛い"の成り立ちを話す芸人」を見て思ったことでした。
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嘘も方便 嘘をつくことは罪悪であるが、目的を果たすためには嘘が必要な場合もあるということ。 「方便」は目的を達成するために講じられる便宜的な手段のこと。
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