Diary 2007. 6
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2007年6月29日 (金)  

帰り道に裏道を通ると、忙しく急ぐ人々を見つけました。そう、そこは宝文堂でした。

仙台の古いビルで案内の板のテナント一覧をみると「宝文堂」と書かれていて、消された後を見つける事があります。
多分、かつてここに宝文堂の事務所があったんだろうと思います。本業の本の販売の不振のために合理化を進めてきたのでしょうね。

学者が仙台の歴史を整理/調査してきた中で、宝文堂が果たしてきた役割の大きさは計り知れません。
大きな本屋が仙台に進出し、宝文堂から客の足が徐々に遠のいている事を実感していたし、私もその大きな本屋のおかげで手に入れにくい本が買いやすくなったことも事実です。
コンビの出店も影響したと思います。

明日、廃業するその処理をしている社員の気持ちを考えるとつらくなります。
せめて、宝文堂の社員によい未来がありますように。

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今日は夕方近くまで雨が降っていました。

もともと、稲作(水田)のための土地は水を溜めるために地面が低くなっています。
この為、減反されて豆を植えた土地であっても水が溜りやすくなっています。これも水田の重要な役割である保水性なのですが、この役割が活きているために水が溜まりやすくなっています。
水田の保水性は優れていて、大雨のときでも多くの水を吸収してくれるのです。そして、この水は多くの動植物が育つ環境を提供してくれます。

プランクトン、それを食べる虫、オタマジャクシ、蛙、ツバメを鳥、、、みんなみんなこの水田のおかげで育つ。

皮肉なものですね、、、豆には不要な保水性のために、蛙が活動をはじめ一斉に鳴き始めました。

故松岡農水相は「中国への日本米の輸出の締結」を進めました。その人は今はいません。
本日、日本から中国に米が輸出されました。
新潟からコシヒカリ、秋田からひとめぼれ、、、日本円で1500円です。

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2007年6月30日 (土)  流れる

今日の宝文堂の社員は胸をはり、一人ひとりの客に丁寧に対応をしていました。

閉店を知っている私たち客の心は悲しみにくれる。

書店の中の一角に、宝文堂が仙台の歴史を調査し発行した本が並べられている箇所があります。そこには、多くの人が並んで自分が買う本を選択する順番をまっていました。
多分、今日がこれらの本を買える最後の日です。

その傍らでは、宝文堂の社員が本についているビニールカバーを取り除いては箱につめていました。
客の中には「看板をください」と社員にお願いする人がいたりしていました。社員はその要望にも応じていましたよ。客は「忙しいのにごめんなさい」といっていました。

失うものが多すぎる。

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直感的に「仙台」「紫陽花」「寺」をキーワードにしてネットを検索しました。
「資福寺」という結果が出てきました。

「資福寺」に着くと長い緩やかな坂道があり、山門近くで傾斜がきつくなり階段へと続きます。その道の両脇に紫陽花が植えられています。道が長く続く中で遠近感があり紫陽花がとても美しく見せる構成になっていました。

車でくるとこの道をそのままとおって、寺の奥の駐車場に向かうことになります。この道を歩いて行くのも良し、車でその中を行くのもいいと思います。

しかし、今日の「資福寺」の紫陽花は、あと二、三日後に着たら満開だと思う状態でした。それでも私には満足できる光景でした。むしろ、満開の時の光景を想像させる余裕があり、イメージが咲いていない花を埋めてくれました。

紫陽花は手入れされることもなく(形よくきられることもなく)、ただ、ただ、紫陽花が自由に咲いているという感じでした。あきれるくらいに、、
山門は紫陽花の露に濡れずに入ることはできないと思われるくらい。

境内の中に、お抹茶が頂けるところがありました。私が行った時には誰もいなくて、頂くことができませんでした。抹茶を頂きながら紫陽花を愛でるのもいいかもしれない。ここも「抹茶を頂いて心を鎮めて紫陽花を見ている」つもりになって、、


「資福寺」に行くと決めたときに突然に雨が降り出しました。
「資福寺」から出てくると雨がやみました。、、ちょっと、不思議でした。

※本殿や境内は綺麗に掃き清められていました。

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夜になって、防衛大臣の発言を聴いて驚きました。

久間防衛大臣が広島、長崎に原爆が落とされたことを「しょうがない」と表現をしました。
その後、大臣はこの発言を弁明しています。「日本はソ連が参戦する事を知らなかった。アメリカは日本がソ連に占領される事を防ぐために原爆を落とした。原爆を落とすことにより日本を終戦においこんだ」と説明しています。

もし、久間防衛大臣の言うことが本当だとすれば、これがアメリカの「日本への慈悲」というものなのでしょうか。「日本が共産圏に占領されたくないという」単なるアメリカのエゴではないでしょうか。一歩ゆずっても「日本がソ連に占領される事を避けるように、アメリカはもっと他の方法を選択すべきだった」と主張するべきだと思います。

アメリカ国民は原爆投下を「戦争終了を早める為に必要だった。もし、原爆を投下していなければ米兵の被害が拡大していた。原爆は多くのアメリカ兵の命を救った」と教育されています。本当だろうか、原爆を投下されなくとも日本の敗戦は決定的だったとされています。

「アメリカは日本を核兵器の実験場に使用した」という説があります。
アメリカは原爆投下された広島、長崎に調査団を送ってきています。その人たちの行動は被爆者の治療では無く、核兵器の人間への影響を調査するためのものでした。彼らは被爆者の経過を知るために被爆者を一切治療することはありませんでした。これが「アメリカの慈悲」というものだったのだろうか。

国民の安全を守る防衛大臣が数十億の一般市民を殺害した行為を「しょうがなかった」と是認していいのだろうか。軍人以外の一般市民の殺害は国際法違反だと私は考える。
久間防衛大臣の発言は「広島と長崎で核兵器廃絶を願う日本人」を背後から射殺しているかのように私には見えます。

次のエルバラダイ事務局長の発言は別件での発言です。しかし、日本が核に対する倫理を堅持しなければならないことに同意しています。
どんなことがあろうと原爆を使用してはいけない。

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朝日新聞の速報ニュースサイトからの引用
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日本は核の倫理を語る責任 IAEA事務局長
2006年12月03日21時56分
 来日中の国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は3日、北朝鮮の核実験によって持ち上がっている日本国内での核保有論議の容認論に関して、「日本は唯一の被爆国であり、広島や長崎に大変な被害を受けた。日本は核の倫理を語る責任がある。これは本当の意味の政治の問題だ」と語った。一方、「日本政府からは非核政策を堅持すると聞いており、安心している」と述べた。京都大学(京都市)で開かれた対話フォーラムで、会場からの質問に対して答えた。 

 この中で、同氏は「もし日本が核兵器を得ようとすれば、韓国や台湾をはじめ、アジアのすべての国(の核兵器保有)を心配しなければならなくなる。我々は数十の核兵器保有国が存在する中で生きて幸せだろうか。それは文明の終わりの始まりだろう」と話した。 

※この記事は下記のURLで公開されましたが、現在は見ることができません。
http://www.asahi.com/special/nuclear/OSK200612030031.html

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