Diary 2021. 11
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2021年11月14日 (日)  雲霞

大根を干したので、「大根漬けの素」を購入するために泉区へ向かう。

車に乗るとフロントガラスに「雲霞」のようなものが飛びついてきました。
思わずカメラで撮りました。

昔、窓やドアがアルミサッシではなかったので密閉性がなくて家の中に大量の雲霞が入ってきました。
触られると「かゆく」なるのです。
私には嫌な思いでしかないのに懐かしく思われる生き物です。

雲霞は数ミリの虫なのですが、大多数で集団として動くので雲か霞と表現するにぴったりなのです。。
この虫は越冬できず、なぜ毎年夏に日本で大発生するのか謎でした。
私が小学校の頃に、日本海上でこの雲霞が飛んでいるのが発見されて中国から来ることがわかりました。当時、この小さな虫が日本海を渡ることを「驚きのニュース」として報道されていました。

いろいろと思い出す。




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2021年11月13日 (土)  干し大根

朝、今日は会社が休みなのに母が早起きをしている。
「どうしたの?」と私が母に訊くと「つぼみ菜を直売所に出荷する」というのです。
母は「つぼみ菜」を売ることにより「社会参加」と「社会への貢献」を実感しているようなのです。


干し大根を収穫しました。
大根の蒔いた数をいつもの年よりも半分以下にした。
今年から大根を「洗って」「干す」作業を私一人でやろうと考えていたからです。
作業をしているところに老いた母が来て「手伝おうか」と私に訊くけれど、私は「二日あればおわるょ、だから大丈夫」と断る。

母はすまなそうに小さくなって端の方で何かをしていた。

夕飯にキャベツの漬物を自慢げに出されました。
確かに手間がかかっているキャベツの浅漬けでした。
「ああっ、これね、母がさっき隅のほうでやっていた作業は、、」

おいしい

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2021年11月12日 (金)  漬物のデザート化

去年、沢庵の素が無くなっていて、お店に買いに行ったら
それが「糖分」が入っているものばかり、つまり漬けると物が甘くなる素ばかり

甘味は人間が昔から求めていた物、あこがれていたものだったと思う。
野菜や果物にしても、今よりずっと甘味が少なかったころに、「もっと、もっと」とあこがれていた物だったとおもう。
私はその頃の甘さがいいと思うことがあります。

明日、大根を収穫して干さなければなれません。
「二日(土日)あればひとりでもできるかなぁ」と考えています。そして、甘味のない漬物の素を買ってこなければ!!

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【山上憶良『万葉集』巻5  802】
瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ
いづくより来りしものそ眼交にもとなかかりて安眠しなさぬ

まだ、甘いものが少なかったころの歌です。
瓜を食べると「これを子供に、、」と思うのでしょうか。
栗を食べれば「これも子供に、」と思うのでしょうか。
どこにいって、どこからここに来たものでしょうか。
目の前をあちらこちらと行き交っていたかとおもうと、いつの間にか静かにこんなところに寝ているということはありませんか。


この長歌には反歌があります。

「白銀も 黒金も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも」

金や銀、玉がいかほどのものだろうか、それよりも価値のある子供に及ぶはずがない
この歌の題詞に「仏の金口ののたまわく」というようなことが書かれていたと記憶します。
もしかすると「いづくより来りしものそ」と以降はフィジカルな光景ではなく、子供は仏の計らいで授けられたという思想があるのかもしれませんね。

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2021年11月11日 (木)  多賀城 下馬

以前、多賀城の下馬に住んでいた人に「昔、お侍さんはみんなここ(下馬)で馬を降りて、塩釜神社にお参りに行ったんだって、それからここを下馬というようになったんだょ」と自慢げに言われました。

私は「多分違うと思うよ」と答える。
多賀城の下馬の名前の由来は知らないけれど、下馬は塩釜様の境内の馬厩舎の裏あたりを指す言葉で、昔は貴人がそこで馬をおりて塩釜様に参拝に行かれて、供の下僕は主が参拝を終えて帰ってくるのを待つ場所なんだ。そのしきたりに似ている話だから、、、その場所がここならばここに住んでいる人はとても不便な生活をすることになるし、、

私に自慢気に話していた人は「ここから塩釜様まで距離があるから、ちょっとおかしいとは思っていた。下馬に住んでいた時はそう周囲の人から聞かされていた」と話す、、

やり込めるつもりはなかったけれど、私は「間違いをそのままにしておけない欠点がある」と改めで自覚する。


2021年11月10日 (水)  なんの実 ?

会社までの道、元寺小路福室線、まっすぐて長いんだよねこの道。

おかげていろんな物を見つけます。
これなんだろう。
名前は

昭和天皇は「雑草という植物はない」といったそうです。
この言葉が印象に残っています。
つまり、私には同じに見えるものが区別できるということ、違いを理解できるということ。

そういう眼がほしいと思うのです。
私は注意欠如症だから自分で意識しないとダメだ。




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2021年11月9日 (火)  「人」という文字、「幸」と「辛」という文字の関係

数年前の夜中に、Nさんというミュージシャンがラジオで次のような話をしました。

リスナーの辛い思いをした手紙を読んだ後で、、、
「辛い」という文字の上の部分を「すーっと突き刺しのばす」と「幸せ」という文字になります。
「ちょっと努力すれば幸せになれる。そんなものじゃないかなぁ〜」というのです。
--- 曲が流れる ---



このような類の話を始めたのは教師役をしていたTさんが元だと思います。
「人という文字は長い棒と短い棒の二つの棒が支えあって成り立っている。単独では立っていられないんだ。私たちも助け合って生きようじゃないか」と学園ドラマの中で話していたと思います。

ひねくれた私は「どう見たって長い棒が短い棒に支えられているよ」「"入る"という文字も支えあって入るの?」と思ったものでした。

私はこのような話は嫌いです。
漢字の成り立ちがひとそれぞれの「人間の生き方」を示しているとは思えないからです。

「人」という文字は人を横から見た姿の象形文字が原型とされています。
人ひとりの横姿ですよ!、それが複数の人と人のあり方を示しているとは思えない。


では「幸せ」はどうか
これは手錠のような「手かせ」の象形文字が原型とされています。
想像ですが、「手かせ」を外されたことを「幸せ」の元の考えだったのでしょうか。

次いで「辛い」はどうか
諸説あるようですが、入れ墨を入れる時の「針」の名前を表す象形文字だったようです。
墨を入れるためにその針で肌に傷をつける事を辛いと考えていたのでしょうね。

象形文字から簡略されてたまたま似た文字になったことに意味付けするのはおかしいと思うし、そこに何らかの意図があったとは思えないのです。
最近、「幸せ」と「辛い」の話をよく聞きます。話としては面白いけれど、真理を解く話ではないとおもいます。嘘も方便というけれど間違った情報で人を誘導してはいけないと思うのですが、、

さて、「怒」と「恕」、「祟」と「崇」、似た文字で反対の意味を持つ漢字がいっぱいあります。
これからどんな作り話が出てくるのでしょうね、、

今夜、TikTokを見ていて「"幸せ"と"辛い"の成り立ちを話す芸人」を見て思ったことでした。


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嘘も方便
嘘をつくことは罪悪であるが、目的を果たすためには嘘が必要な場合もあるということ。
「方便」は目的を達成するために講じられる便宜的な手段のこと。




2021年11月8日 (月)  難が転じて福となすように

会社に向かう途中、道路沿いの工場に南天が植えてありました。

昔は語呂合わせで「難が転じて福となすように」と庭に植える人がいました。
鳥が食べて種を糞としておいていくことが多いので南天は珍しい植物ではありません。
それでも、手入れされて肥えて赤い南天の実は高値で取引されています。

私の父が白南天は漢方になるとして庭に植えていました。
父を亡くした今では、白南天が何に効果のある漢方なのかわかりません。
ちょっと、調べたくなりました。

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をとうとの雪のうさぎにまなこつくと南天とりし岡崎の庭  与謝野鉄幹
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております  山崎方代
かなりやがよく唄ひけり朝の日が南天の実にかがやきにけり 佐佐木幸綱

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