Diary 1945. 8
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1945年8月6日 (月)  広島原爆投下 仙台七夕

この日は、仙台七夕の初日です。
この日から三日間、仙台のメインストリートに豪華な七夕飾りがかざられます。その飾りのなかに「色は地味」ですが、「一番人手を多く要し、祈りの込められた豪華な七夕飾り」が飾られます。広島からの祈りをこめられた数千羽の折鶴で作られたものです。毎年、途切れることがなく仙台に贈られてきています。 

その七夕飾りには、なにも飾らずに「平和への願いの文」が添えられています。
(ちなみに、仙台七夕は旧暦で七夕を行い、それの意味は先祖への供養です。)

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○峠三吉詩碑 碑文 広島の平和記念公園に置かれている碑に刻まられている碑文。

  対話役(訳) => http://www.agape.jp/etc/hiroshima.html

広島の平和記念公園に置かれている碑に刻まられている碑文。

広島市中区平和記念公園(1963年8月6日) 
【峠三吉詩碑 碑文】
 
  ちちをかえせ ははをかえせ
  としよりをかえせ
  こどもをかえせ
 
  わたしをかえせ わたしにつながる
  にんげんをかえせ
 
  にんげんの にんげんのよのあるかぎり
  くずれぬへいわを
  へいわをかえせ


峠三吉について、次ぎのページも見て欲しい。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/TOGE/manuscript-SEI.html


○「国際連合 the United Nations (略 UN) 」本部の前に公園があり、その公園の中に
国連本部と対峙するように石碑があるそうです。その碑文に書かれていること。


【和訳】旧約聖書に書かれていて、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も知っている聖句です

  彼はもろもろの国の間に裁きを行い。
  多くの民のために仲裁に立たれる。
 
  こうして彼らはその剣を打ちかえて鋤(suki)とし、
  その槍(yari)を打ちかえて、鎌(kama)とし、
  国は国に向かって、剣をあげず、
  彼らはもはや戦いのことをまなばない。
                  イザヤ書 二章四節
                   Isaiah 2:4


1945年8月9日 (木)  人類最後の原爆体験

長崎の「原爆公園の像も男性像」です。作成者に対し、長崎市は「女神像」を強く要望していたそうです。しかし、作者は「男性像でなければならなく、右手は垂直に天を指し原爆が落ちてきてきたこと(その脅威)を、左手で、力強く地の平和を象徴したい。目は亡くなった人への思いを表現したい(微妙に表現が違うかもしれない)」とテレビではなしていました。 


作成者 北村西望(きたむらせいぼう)


1945年8月10日 (金)  終戦記念日

8月15日は日本にとっては終戦記念日です。

日本に支配されていた国は別の意味を持ちます。
  8月15日を韓国では「光復節」として祝います。
  8月15日を北朝鮮では祖国解放記念日としています。

終戦記念日をいつとするか色々と議論があるところですが、8月10日は実質的に日本が降伏を世界に宣言した日です。
8月10日、その日に短波ラジオは世界に戦争が終ったことをつげる。


1945年8月15日 (水)  アガペ像

【アガペ像】
B 、C 級戦犯の遺書を一冊の本にした「世紀の遺書」という本があります。その売上げが昭和 28 年の段階で 200 万あり、その売り上げでこの像をつくったそうです。 
A級、B級、C級というと戦犯者の罪の度合いに思われますが、厳密にはちがいます。
A項目 平和に対する罪
B項目 通例の戦争犯罪
C項目 人道に対する罪

【アガペという単語】
このアガペ像の周囲に説明文もなく台座に日本語で「愛」と、英語で「agape」にあたる語(αγαπη)がギリシャ語で刻まれています。 

英語で「agape=アガペ」は日本語に訳すと「愛」という意味です。

旧約聖書はヘブライ語で記述されています。それに対して新約聖書はギリシャ語で記述されています。
新約聖書では神の「愛」を表現する時にギリシャ語のアガペを使用します。逆に旧約聖ヘブライ語「アハバー」はすべてギリシャ語の聖書においてはアガペと訳されています。

日本語の「愛」がギリシャ語では四種類に分けられています。(単語が違う)
エロス : 性的な愛
ストルケ : 家族に対する愛
フィリア : 友人に対する愛
そして、アガペ(アガペー)があります。(実はギリシャ哲学はそれ以上に愛を多くの種類に分類しているようです。)

ギリシャ神話の神エロスは父ポロスと母ペニア(貧困)の子であったから、困窮もせず満足もせず、ただ飽くことなく求め続けます。
アガペは愛を本性とする神が不完全な全ての人間を価値の有無を問わずただ被造物であるという理由だけで愛する無差別平等の愛です。
ここから聖書でアガペは「見返りを求めない"無償の愛"」を意味するようになりました。

【神の愛】
新約聖書の中で、イエスは「神の愛」を補足する形で、人と人の関係においても神が人を愛する事と同様な愛を求めています。
イエスは、いくども「どんなに神が人を愛しているか」を説いています。そして、旧約聖書を引用して次のようなことを説いています。下記の『』の部分はイエスが旧約聖書から引用している部分です。

以下、マタイによる福音書からの引用です。

『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。

もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
求める者には与え、借りようとする者を断るな。

『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

引用はここまでです。

聖書の中で、イエスのこの考えは徹底しています。
聖書によると最初の人間は「アダム」と「エバ」でした。この二人は完全だったのです。人類はアダムを「長」として神の庇護の下に生きていくはずでした。
そう、アダムは罪を犯し「不完全」になってしまったのです。この時から人間の苦しみが始まったとされています。『目には目を、歯には歯を』の原則からこのアダムと「同じ物」を神に捧げることで人間は救われると考えられていました。

イエスはこの原則に従い自分自身を生贄とするのです。


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世紀の遺書について
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世紀の遺書の復刻版を講談社が出版しています。
講談社は著作権について厳しい考えを持っているようです。このため、世紀の遺書の一部でさえもここに書くことができません。

このアガペ像を理解するためには「世紀の遺書」を読まなければ理解できないと思います。世紀の遺書の序文にその意思が書かれているからです。

中国の諺につぎのようなものがあります。

鳥の将(まさ)に死なんとする、その声(こえ)や、悲し
人の将(まさ)に死なんとする、その言(げん)や、正し

この場合の「正しい」とは、「嘘を言っていない、本音」という意味だと思います。
「戦犯とされた人」の言葉に真摯に向かう事は平和を享受する私たちに無駄な時間ではないと思います。

戦争、とても嫌いです。
戦争を美化してはいけません。戦争は「愚か」だ。

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ここからはわたしの個人的な意見です。
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世紀の遺書を読むとその遺書を残した人達が今の私たちと変わらない人達であると気がつきます。
つまり、わたしもその時代に生きていれば戦争に参加して、人を当たり前のように殺し、当たり前のように殺されていた可能性があります。今まで自分が人を殺すなんて想像さえしなかったし出来なかった。したくもない。
私たちが彼らと違う事は「平和な生活、戦争をしらない生活」を知っていることだと思いました。

BC級戦犯の裁判は国外でも開かれたのだろうか「死刑という判決がでるたびに、裁判を傍聴する人たちから拍手があった」という記述が見られる。その時、すべての人がそれが「当然」と思っていたのでしょうね。それはピラトが「イエスとバラバのどちらを助けるか」とユダヤ人に問うた時のユダヤ人の反応に似ていると思いました。(私はBC級戦犯を聖人といっているのではない)

●アガペ像に碑文がない理由は二つあると思います。
ひとつは建立された時代はBC級戦犯を評価することが難しかったから、碑文の製作を将来の人々に任せた。または、将来の人々が先の戦争を踏まえ冷静な心で歴史認識をもち碑文を作ってほしいという願いではないでしょうか。
もう一つは、碑文を書かないことで「自分の頭で考える」事を求めていたのかもしれません。あの時代に認められなかった「思想信条の自由」「表現の自由」は「何が正しいか、自分はどうするべきか」と私達一人ひとりに問いただします。

遺書の中に和歌が多い事に気づかされます。しかし、数首だけをここに書くことは出来なかった。それは(数首だけを書き出す事)世紀の遺書の編纂者の意図と明らかに違うからです。
多くの人が父母の健康、国の行く末を案じていました。そして、自分が先に死ぬ親不孝を悲しんでいました。

先の戦争において、私たちの先祖だけではなく、アジアの多くの人々の死と血が流されました。その上で、私たちは平和憲法を手に入れて、歴史上に類をみない繁栄を享受しています。

私たち日本人はアジアの中で「よき隣人」となりえているだろうか、、

聖書で「隣人」についてイエスがたとえ話をしています。
ある人がイエスに「永遠の命を得るためにはどうすればよいか」と問いました。
イエスは「律法にはなんとかかれているか、あなたはどう読むか」と訊きかえしました。
その人は「神を愛しなさい」「隣人をあいしなさい」と答えました。
イエスは「貴方は正しい、そのとおりにしなさい、そうすれば命が得られる」と答えました。
その人はまた、イエスに質問をつづけました。それが次の聖句です。

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ルカによる福音書 10章30節
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イエスに言った「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
イエスが答えて言われた「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが、あるサマリヤ人が旅をしていて、この人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ。宿屋に連れて行って介抱した。
翌日、デナリニつを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
この三人のうち、誰が強盗に襲われた人の隣り人になったとおもうか」。
彼が言った「その人に慈悲深い行いをしたひとです」。

そこでイエスはいわれた「あなたも行って同じようにしなさい」。

補足 : ユダの人々とサマリヤ人とは仲が悪く、サマリヤ人を軽蔑していました。
イエスはあなたの隣人を愛しなさいという聖句から、「私たちはサマリヤ人のような人を愛しなさい」といったのではありません。たとえ話のようなサマリヤ人のように慈悲深い行動をとりなさいといわれたのです。
(サマリヤ人を見習って誰に対してでも「隣人」になりなさいと云う意味です。「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか」。自分が愛する人を愛するのは当然です。)

私たちは種族に関係なく、相手を愛せるはずなのです。


【建立】
「B級、C級戦犯の慰霊碑」や「世界平和の祈念」というものではないような気がします。
「あの戦争が正しかった」とか「あの戦争が誤りだった」という事を表現(主張)しているとも考えられません。
「B級、C級戦犯とする者が犯罪者ではない」「B級、C級戦犯を赦しなさい」という考えでもないと思います。

特別に「B級、C級戦犯」を愛せと云う意味ではなく、台座の銘のとおりに無条件に「愛」と云っているのかもしれません。

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次の資料をみつけました。2005/7/27
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中村勝五郎氏(なかむら かつごろう) 
大正2年生まれ。味噌醸造所代表。(平成16年決定)
戦後の混乱期に父勝五郎(2代目)とともに、私財をなげうって、若手芸術家の育成や美術界の興隆に力を尽くされた。また、BC級戦犯処刑者の支援にあたり、「世紀の遺書」の出版を資金援助するとともに、東京駅前広場に世界平和を祈願する「愛の像」(アガペの像)の建立に奔走された。さらに、財団法人市川市高齢者事業団を設立し、初代理事長として、市川市の社会福祉の向上に貢献された。 

http://www.city.ichikawa.chiba.jp/70aniv/meiyo.html#05

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次の資料をみつけました。2006/12/22
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作者は富山県出身の彫刻家横江嘉純(よこえよしずみ1887-1962の制作によるもので、「BC級戦犯」の慰霊と平和祈念のために、1955年に建立されたという。

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次の資料をみつけました。2008/02/16
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八尾町美術保存展示館のページに横江嘉純氏の略歴がありました。
この略歴によると昭和30(1955)年に"東京駅中央口に「愛」の像を建立"とある。
http://www.city.toyama.toyama.jp/yatsuo/kyoiku/bijyutu/ryakureki.htm

八尾町美術保存展示館
〒939-2376 富山県富山市八尾町福島183番地 TEL(076)455-9520
〒939-2306 八尾教育行政センター(八尾町井田126)TEL(076)454-6555
http://www7.city.toyama.toyama.jp/window/11_culture/03/y_bijyutu/index.htm

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その他
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何故に、このアガペ像が東京駅の前にあるのか、、資料が見つかりません。
上野の公園に建立予定だったとか、、、東京駅から出征兵士が多かったという「うわさ」的な情報しか見つかっていません。

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ここまで
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