Diary 1997. 4
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1997年4月23日 (水)  ペルー大使公邸人質事件

ペルー大使公邸人質事件 1997年4月23日

トゥパク・アマルー・最高指揮官ネストル・セルパを含む全員が死亡(後に、公邸内で処刑されたのではないかという情報) 
人質・・・・・・・・・・・・カルロス・ジュスティ最高裁判事死亡 
突入部隊・・・・・・・・ファン・バレル少佐死亡(殉職後に大佐に特進) 
突入部隊・・・・・・・・ラウル・ヒメネス中尉死亡(殉職後に大尉に特進) 


後に、殉職したファン・バレル大佐のポケットから遺書が見つかった。
遺書の訳が複数あります。原文が無いのでどれが原文に近い訳なのかわかりません。非常にもどかしさを感じる
 
「これが読まれる時、それは私がいなくなった時だが、喜んで去って行ったと思って欲しい。 犠牲者が出るのはやむをえない事なのだ。 私は、祖国の自由と独立を守るために命を失ったといわれれば、 誇りと満足をもって死んでいける。」  
次のように訳している人もいるようです。
 
「軍の仲間たちへ」
「この手紙が読まれるということは、私はもう生きていないということです。 私はペルーを愛し、この国のためならいかなる犠牲を払うことも辞しません。 私の使命は国を守ることであり、 私たちが築き上げた平和を傷つける行為に対しては、いかなる措置をも取ります。 私は誇りを持って作戦に加わり死んでいきました。 皆さん、愛する士官学校で学び、一緒に戦ったことを思い出してください。 私は心平静にして任務につきます」  



二人の兵士の葬儀は、23日リマ市の軍施設内で行われた。
現在、ペルーには同じ名前の場所が二つある。


ラウル・ヒメネス通り 
ラウル・ヒメネス公園 
その公園の中央には、祖国の誇りと異国の人々のために戦い、死んでいった、英雄ラウル・ヒメネスの像が建っている。 

因みに、私は自殺を美化するつもりはありません。 


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