Diary 2009. 9
メニューに戻る
2009年9月1日 (火)  振り向く

私は必要がなければ「車なんて一生乗らない」と思っていました。今、必要に迫られています。

自動車教習所に行って「ペーパードライバー講習」を受講しています。教習所の講師は私を「ペーパーさん」と呼ぶ、講師に決して悪気があると思わないけれど不快なものを感じる。
「ペーパーなのにマニュアル車なの?」と聞かれて、私は「両親がマニュアルなので」と答えながら、また不快な物を感じる。私は「ペーパードライバー」って差別用語でもないのに何故に不愉快になるのかと疑問を持つ。

久しぶりに乗る車は私の思い通りには動いてはくれず、私はマニュアル車を選んだことに後悔を覚える。
私は「本当に、私は以前にこの教習をパスしたんだろうか」と思ってしまう。20時間位、受講しないとダメみたい、それさえもあゆうい。

-----------------------------------------------------------------------------

福田町は昔から比較的に開けていたので道祖神や神社がおおい。

教習所の講習を終えて熊の神社の前を通ると、お堂の中に人がいて何かを唱和していました。
暫く、その唱和を聞いていると「般若心経」らしい。神社で仏教の経典を唱和するなんて日本らしい光景かもしれない。

昔からそうしてきたのだろうけど、、、、、

-----------------------------------------------------------------------------

教習所の近くにある寺が建て変わっていました。その山門に次ぎの詩が書かれていました。

よわねをはくな
くよくよするな
なきごというな
うしろをむくな

ひとつをねがい
ひとつをしとげ
はなをさかせよ
よいみをむすべ

すずめはすずめ
やなぎはやなぎ
まつにまつかぜ
ばらにばらのか

坂村真民 「七字のうた」

1465-1.jpg



2009年9月2日 (水)  踉蹌

「秋田県・能代市の案件をもう一度考えてもらえないか」と打診されました。
私は不安を抱えたままで丁寧にお断り申し上げました。

-- 今年は上手く行かないことが多すぎます。もうフラフラです。--

今日は自動車教習所か休みです。そんな時に「悪い知らせ」が届く、、フラフラです。

------------------------------------------------------------------------------

【踉蹌】ろうそう
歩き方がよろよろしているようす。蹌踉(そうろう)。


2009年9月3日 (木)  月満則虧

麻生総理大臣の取材記者への回答が「雑」になったように思えます。麻生総理大臣は苛立ちを隠そうともしていないように見えます。
「雑」というよりも取材記者に八つ当たりしているようにも見える麻生首相の回答でした。
これを「麻生首相の人格」と結びつける人と「仕方ないじゃない、普通だったら記者の前に出てこないよ」と容認する人もいる。
人間の物事の捉え方は色々で、これだから政治というものが難しいのでしょうね。

------------------------------------------------------------------------------

落選した自民党議員が議員宿舎から出て行く様子をみて「平家物語」のはじめの部分を引用してコメントする人がいました。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ 

選挙の勝敗は常なのだけれども、余りにも自民党政権が長期だったので上記のような古典を思い出すのだろうか。ある人が「自民党の幹部は"自民党"の看板を出していれば、選挙を勝てるとずっとおもっていたのではないか」といっていました。
「平家にあらずんば人にあらず」に合わせれば、「自民党にあらずんば国会議員にあらず」になるのだろうか。

------------------------------------------------------------------------------

仏弟子に須達長者(梵名:Sudatta)という人がいます。

この人の人生は「七度貧になり・七度長者となり」と言われています。
つまり、須達長者夫妻は7度も貧窮のどん底を経験した。そこから7度も富貴を極める人となりました。
7度目の貧窮が最も苦しい境遇にあったようです。もう、手元には5日分の米しか残っていない。その時、釈尊と4人の仏弟子が須達長者を訪れると、夫妻は喜んで5人に米を供したというのです。
この一番、大変な時の行動によって須達長者夫妻は全インド第一の長者となったそうです。(仏教徒じゃないとこの理論を理解出来ないと思います。)

ここから須達長者が釈迦へ祇園精舎を寄贈する話が続きます。

須達長者は釈迦から「須達長者の故郷である舎衛城で雨安居(うあんご)の開催」の約束をとりつけました。
須達長者は舎衛城に帰り、釈迦たちが逗留する精舎を建立することにした。
須達長者は「舎衛城から距離的にも適当で、しかも閑静なところ」という条件を検討した結果、舎衛城の祇陀太子が所有する園林(祇樹Jeta-vana)が良いと考えました。祇陀太子にその土地を譲り渡してくれるよう須達長者が懇請しますが祇陀太子は応じてくれませんでした。そして祇陀太子は須達長者に「この園林に黄金を敷き詰めれば、その敷き詰めた分の土地を敷き詰め黄金の値で譲ろう」という条件を出すのです。
しかし、須達長者はそれでもあきらめず。自分の屋敷からある限りの黄金を運ばせて祇陀の林に敷きつめて須達長者は無一文になってしまいました。それでも須達長者祇陀の林に黄金を敷きつめよう努力するのです。
この光景を見た祇陀太子は須達の情熱に心をうごかされてその園林を須達長者に譲り渡すことにしたといわれています。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という下りには次のような意味があると思います。須達長者がこのように苦労して釈迦に寄進した祇園精舎の鐘の音も、たとえ仏弟子の修行の中心であった祇園精舎の鐘の音であっても、一定の音で一時たりとも鳴り続けることが出来ず、音はやがて途絶えてしまう。

「祇園精舎の鐘の声」には祇園精舎の繁栄を意味しているとも思えます。

------------------------------------------------------------------------------

【月満則虧】つきみちればすなわちかく
満月になると、必ずかける。盛んなことは必ず衰えることのたとえ。
〔史記・蔡沢〕


そういえば松任谷由実さんが「14番目の月」という歌を歌っています。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND2515/index.html


2009年9月4日 (金)  うんぐっ

自動車教習所の講師は個々で教え方が違うようです。もしくは同じ事を言っているのを私が聞き違えているのやもしれません。

昨日は「左足を半クラッチ探るように上げては、半クラッチを覚えられない、ガクッガクッとなってもいいから左足をあげなさい。」といわれた。
今日は「左足をそっと、そっと扱いなさい。ガクッガクッとなってはいけない」といわれる。

確かに、今日の所内での運転は散々だった。
教習が終って講師からいろいろとアドバイスを受けて、最後に講師から「次回から路上ね」といわれた。

私は「いまなんっていったの??」と問いかけたくなってしまうのを飲み込みました。


2009年9月5日 (土)  一を聞いて十を知る

【一を聞いて十を知る】いちをきいてじゅうをしる
少しのことを聞いただけですぐに全体を悟る。非常に賢くて理解が早いことのたとえとして使用されます。。

孔子が子貢に「お前と顔回では、どちらが優れているかな」と尋ねたそうです。
子貢は「どうして、回と比べることができるでしょう。回は、一を聞いて十を知ることができますが、私は二を知る程度です」と答えたそうです。

回(カイ)ヤ一ヲ聞キテ以(モッ)テ十ヲ知ル。賜(シ)ヤ一ヲ聞キテ以テ二ヲ知ル。
〔論語・公冶長篇〕

------------------------------------------------------------------------------

「一を聞いて十を知る」ということではないのですが、ペーパードライバー講習中で「マニュアル操作」で出来ない事が一杯あって、、、、、
今日の講師が私に「イスの位置を後ろにずらすように」とアドバイスをくれました。イスの位置を修正すると今まで出来なかったことができるようになりました。なんか、「十」できなくて悩んでいたところに「一」を教えられてやっと理解できたような気分になりました。

講師が言うには「イスの位置が前過ぎると足が忙しくなる」とのこと。


2009年9月6日 (日)  『F.COMPO』(ファミリー・コンポ、FAMILY COMPO)

北条司さんの漫画作品に『F.COMPO』(ファミリー・コンポ、FAMILY COMPO)というものがあります。

その中で若苗 紫(わかなえ ゆかり)が車を運転します。その運転方法?に左折だけで目的地に着こうとするシーンがあります。
確かに左折を組み合わせれば目的地につけるのだろうけれど、あまりにも無謀な事が笑いになっているものと思っていました。
今日、車線変更をして右折する事がいかに難しいかをしり、この漫画のこのシーンの解釈が違っていたことに気がつきました。

右折は車線変更が伴い、後ろから来る車に対して恐怖感があります。
「左折だけで目的地につける」という無謀な計画ではなく、免許を持っているなら車線変更と右折ができるのは当然の話で、出来ない事が笑えるとシーンだったのですね。

でも若苗紫の設定されているパーソナル(性格)からすると、右折ができないことに納得できるものがあります。


2009年9月7日 (月)  梨の礫

伊達政宗は庭に「食べられる果実のなる木」を植えることを推奨したと聞いた事があります。その影響は今までも続いているようで、庭に果実のなる木、特に柿木を植えている家が多くあります。(この柿にまつわり、タンタンコロリンという妖怪?の話があります。)

教習所の帰り道、梨が地面に落ちていました。
庭に梨の木が植えられていてその梨の木の枝が道路まで延びていて、延びた枝に実った梨の実が落ちたらしい。

梨の木は人間のために梨の実をつけたわけではないけれど、アスファルトの上に落ちたままの梨に痛々しさを感じます。


中学/高校時代の先輩、私より2つ上の先輩が亡くなったと聞いた。もう、連絡をしても返信が来ない人となってしまった。

夕方、とある会社から「面接のアポイント」があった。多くの人がこの会社に応募しているようだが、みんな不採用になっているようだった。私もダメだろうと思いながら面接の日時を約束しました。


----------------------------------------------------------------------------

【梨の礫】なしのつぶて
つぶてを投げると行ったきりになることから》便りをしても全く返事がないことをいいます。
「梨」を「無し」にかけたことばです。梨は「無し」通じるので「ありの実」と云うこともあります。

1471-1.jpg



| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
2009/9
SuMoTuWeThFrSa
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   

前月     翌月