Diary 2018. 4
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2018年4月1日 (日)  第三次世界大戦

中国のとある人が「見ていてごらん、3年後に朝鮮半島から米国を排除してそこにいるのは中国だから」という人がいる。本当だろうか、、、?

上記は「予測」だけれど、次のような「予言」がある。
このタイムトラベラーは、以前に騒ぎを起こしたタイムトラベラーと同一人物だろうか。もしそうだったら怖いですね。




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【衝撃】「2019年3月に北朝鮮が核攻撃、第三次世界大戦へ」2075年から来た軍人タイムトラベラーが“歴史を変えるため”に警告!

 ともあれフィリップス氏が2018年の我々に最も伝えたいことは、喫緊に迫っている国際的軍事衝突についてである。

「2019年に限定的な核戦争が勃発します。2019年3月です」とフィリップスは語る。

 2019年3月に北朝鮮は核ミサイルをハワイ・ホノルルに向けて発射。ホノルルは壊滅的打撃を受ける。すぐさまアメリカ軍は航行中の艦船から2発の核搭載巡航ミサイルを北朝鮮・ピョンヤンに向けて発射して爆撃。一瞬にして北朝鮮は組織的戦闘継続能力を失うのだが、この混乱の中で中国・ロシアの同盟勢力と英米とその支持国との間に戦闘が起こりはじめ、翌年の2020年には第三次世界大戦に発展するということだ。

 今日の軍事技術の進化もあり、核が使われたとしても個々の戦闘はきわめて限定的な局地戦になり、戦局もめまぐるしく展開するものの、この第三次世界大戦は3年間続き、全世界で数百万人の犠牲者が出るということである。

 この第三次世界大戦はフィリップス氏が生まれる前の出来事ではあるのだが、こうして2018年の世の中に来た以上は、翌年に勃発することになっている国際的軍事衝突について、その時代に生きる人々に知らせなければならない使命を感じたということだ。このことを伝えることでフィリップス氏は歴史を改変して第三次世界大戦を阻止しなければならないと強く望んでいるのだ。「どの国の人にも戦争で死んでほしくない」とフィリップス氏は語る。…



2018年4月29日 (日)  森郷の太子堂(竜蔵寺跡)

森郷の太子堂(竜蔵寺跡)に行ってきました。
何とはなく、太子の後について書きます。



蘇我入鹿は山背大兄皇子を斑鳩寺にて自刃に追いやり、上宮王(聖徳太子の別名)家が滅亡します。 この報を聞いた入鹿の父である蝦夷は「愚行と嘆いた」と云われています。

この時期、皇位継承権で古人大兄皇子は中大兄皇子の有力な対立候補だったとされています。 この古人大兄皇子の母は蝦夷の娘である法堤郎媛です。 仮に、古人大兄皇子が天皇になると蝦夷は天皇の外戚となるので、蝦夷は古人大兄皇子を推していたようです。

中大兄皇子(後の天智天皇)は中臣鎌足と謀り、この蝦夷の子である入鹿を暗殺します。 中大兄皇子は蝦夷の反撃をおそれて法興寺に陣をたてますが、蝦夷は自害を選びます。 これで蘇我馬子の血筋は絶えてしまいます。

中大兄皇子の名は「葛城皇子、開別皇子」です。父の舒明天皇が即位した時から「中大兄皇子」と呼ばれるようになります。 これは、先に古人大兄皇子がおり、遠慮して「中」を使用したといわれています。

しかし、中大兄皇子は古人大兄皇子の一族を滅亡に追いやります。 この古人大兄皇子の娘が倭大后で、倭大后は一族を滅亡させた中大兄皇子の后となっています。

中大兄皇子は大和に遷都するように孝徳天皇に勧めます。 しかし、これを孝徳天皇は認可しませんでした。 ところが、中大兄皇子は皇族、及び公家百官をつれて飛鳥河辺の行宮に移り住んでしまいます。 実質的に遷都された孝徳天皇は大和で憤死したとされています。

有間皇子はこの孝徳天皇の子です。有間皇子へは常に粛清の圧力が有ったようで、有間皇子は狂人のふりをしていたと伝えられます。 ついに、蘇我赤兄の策謀か、有間皇子は謀反の疑いで中大兄皇子からの尋問後に絞首されてしまいます。

中大兄皇子の弟に、大海人皇子(後の天武天皇)がいます。 この大海人皇子と額田王は恋仲だったとされ、額田王は大海人皇子の子として十市皇女を生んでいます。 しかし、その後に額田王は天智天皇(中大兄皇子)の後宮に入っています。

天智天皇(中大兄皇子)が病床に着いたときに、天智天皇は弟の大海人皇子に即位をもとめますが、 大海人皇子はその話に「陰謀」を感じ、病弱を理由に即位を断り隠棲します。 その後、天智天皇の子、大友皇子が挙兵したとの報に陣をたて大友皇子を滅亡に追いやります。 大津皇子は大海人皇子側に参陣しています。 因みに、大友皇子が挙兵の事実は未確認で、蘇我赤兄はこの戦いで消息が不明となっています。

天武天皇(大海人皇子)の崩御後に、持統天皇が即位します。 持統天皇の子に草壁皇子(日並皇子尊)がいます。そして、次ぎの天皇の有力候補として大津皇子がいました。 史料に、大津皇子の才能を褒める文章がありますが、草壁皇子を褒める文章はみあたらず、草壁皇子は凡庸だったのかもしれません。 この大津皇子と草壁皇子のふたりが石川郎女を愛してしまうのです。

持統天皇は大津皇子に「謀反」を理由に死を賜られます。その謀反の内容は明確になっていません。 ある人の想像では、持統天皇が実子の草壁皇子を皇太子したくて大津皇子殺害したといいます。 それが事実としても、草壁皇子は即位せずにお隠れになります。

大伯皇女は大津皇子の同母姉で母は大田皇女です。 大津皇子の謀反の為、大伯皇女は斎王を罷免され、大和に帰京します。 

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