Diary 2019. 10
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2019年10月1日 (火)  志波彦神

志波彦神について、根拠もないよしなしごとを書きました。
(目的も意味もなく書きました。)

日本語で「しわ」という発音は時の勢力者に反対勢力を指しているようです。
例えば、岩手の「紫波城」などがあげられます。
志波彦神もそのような一柱だったのかもしれません。

出雲地方は「国譲りの話」を読むと中央に対していろいろと反発があったようです。
結局、出雲地方は中央により平定されたようですが、「出雲の神」は「祟る神」として中央から恐れられていたようです。
最近の発掘により、出雲地方では大量の殺戮を経て平定されたという話があります。
そして、出雲大社は想像を超える大きさだったことが分かってきています。
それは、大量殺戮を行ったが故に、出雲の神々からの祟りを恐れた故なのでしょうか?

宮城では、
塩釜様が中央の神をこの地に案内するという形で平定されます。
この中央の神は塩釜神社の唐門をはいって正面の社殿に鎮座されています。
左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)・右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)をお祭りしています。
そして、塩釜様は別宮にお祭りされています。
塩釜様が中央の神をこの地に案内するときに志波彦神も協力したといわれています。

もし、志波が中央から名付けられた神名ならば、志波彦神は地元で崇拝されていた名を失ってしまったのでしょうね。
今ではどのような力を持った神だったのかもわかりません。

志波彦神にはつぎのような伝説があります。
志波彦神が騎乗する白馬が、今市橋付近で七北川の底の石に躓いたというのです。
その拍子に志波彦神の冠が頭から落ちてしまったというのです。

志波彦神はお怒りになり周囲の神々に命じて、七北田川の小石を攫わさせたというのです。
の石は石留神社付近に集められたといいわれています。

一方、志波彦神の冠は七北川を下り多賀城まで流れていったそうです。
そこでお稲荷様の眷属の狐にその冠は拾われたと伝わっています。
そのお稲荷様は冠川稲荷神社に祭られています。

【想像】
西洋の王位は王冠や宝石などに象徴されるのですが、日本の場合は冠位十二階として色でその位を表現します。
白馬の白色は十二階では「義」を意味ます。
中央からの平定で冠位をなくしたけれど、義の神と称えられたのでしょうか。

志波彦神は七北田川の神様だったのかもしれませんね。
石をはらわせたのは川の清らかな流れを望んだのかもしれない。

★神名ではないだろうけれど、志波彦神が祭られる宮に「冠川」神社とある、



志波彦神にゆかりのある場所のリストです。
(一部、関係があるのかなぁという想像もあります。)

https://www.google.com/maps/placelists/list/MMIuqPp9NNBmLLe75GlN-cpBA0rXSA


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